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■□□下水道の歴史
神田下水 >>日本と世界の下水道の歴史


    日本人の手ではじめてつくられたヨーロッパ式の近代下水道は、明治17年(1
    884年)、東京でつくられた「神田下水」です。レンガ造りで、現在も一部は昔
    のまま使われている、現役ながらの日本最古の下水道です。
    今回は、私達の暮らしにかかせない「下水道」の歴史について紹介いたします。

■日本の下水道の歴史

藤原京・平城京の下水道

藤原京の水洗便所
藤原京の水洗便所

藤原京(694年 持統8年)や平城京(710年 和銅3年)などの都では、道路と宅地を計画的に配置し、
道路の両側には溝が設けられていました。この溝が下水道の役割を果たし、雨水や家々から出る
汚水も排除したのではと考えられています。この溝はとても規模が大きく、平城京の朱雀大路の
西側にある溝は、幅7m、深さ1mもありました。
また、道路脇の溝の流水を水路で宅地内まで引き込み、この水路の上で用を足していたと推測され、
古代版水洗トイレといえます。しかしながら、この時代のトイレがすべて水洗式とは考えられず、くみ
取り式トイレもあったと考えられています。

江戸の下水道

江戸の下水溝
江戸東京博物館の模型で見る下水溝

江戸時代につくられた城下町をみていると、城下町を建設するにあたり、下水道も計画的に整備さ
れたことがうかがえます。江戸の街には、下水道(開渠)が張りめぐらされており、これらの下水道
は、雨水や宅地内から出る汚水を集め、最終的には川や堀などに流していました。汚水を集める
下水道は、各家庭の裏にあったことから背割下水と呼ばれていました。
江戸の下水道は開渠であったことから、下水道が滞らないよう維持管理には特に注意が払われて
いました。維持管理は各町々の責任で行われていましたが、修理は当初は幕府の負担で行われて
いたものの、次第に各町々に委ねられるようになったようです。

近代下水道〜戦前期の下水道

横浜外国人居留地下水道
横浜外国人居留地下水道
神田下水
神田下水(東京都)
    
暗渠式(地下に埋設した)の近代下水道がはじめてつくられたのは、神戸や横浜にあった外国人
居留地でした。居留地がつくられたところは海を埋め立ててつくられ、少しの雨でもぬかるみがで
きるような場所でした。居留地に住んでいる外国人は貿易を生業とする人が多く、商品を浸水から
守ることや住環境を少しでもよくしようと、当時、本国でつくられつつあった近代下水道を積極的に
取り入れようとしました。そして、神戸外国人居留地では1868年(明治元年)にレンガ製の卵形
下水道がつくられ、横浜外国人居留地でも1869年(明治2年)に陶管製下水道が規模が小さい
ながらもつくられました。
外国人居留地以外では、明治10年代に横浜や東京神田地区にレンガ製卵形下水道がつくられ、
以後昭和戦前期までに下水道事業に着手した都市は約50都市でした。この時代の下水道は下
水を処理せずにそのまま海や川などに放流するもので、下水処理場を備えた下水道を持ってい
る都市は東京、名古屋、大阪などわずか7都市にすぎませんでした。

戦後期以降の下水道

下水処理場
下水処理場

昭和30年代の高度経済成長に伴い、公共用水域の水質汚濁が社会問題となり、下水道の整備
が強く叫ばれるようになりました。1967年(昭和42年)開始の下水道整備5カ年計画ではじめて
水質汚濁の解消がうたわれ、1970年(昭和45年)の公害国会では、下水道法にも水質汚濁防止
の目的が加えられました。さらに、下水道普及地区においては、水洗便所にすることが義務付けら
れ、下水道は処理場を持つこととされました。その後、下水道の整備が積極的に進められています。

■世界の下水道の歴史

古代文明の下水道

モヘンジョダロ
モヘンジョダロ
ロタール
ロタール
    
歴史上もっとも古い下水道は、紀元前5千年頃にメソポタミアのチグリス・ユーフラテス河沿いの
ウル、バビロン、ニネヴェなどの都市につくられたとされています。インダス文明の中心地モヘン
ジョダロやハラッパ、ロタールなどにも下水道があったことがわかっています。しかし、これらの下
水道は、流末が都市の外まで延びておらず、途中で切れています。途中に沈殿施設を設け、最終
的には地下浸透させていたのではないかと考えられています。また、汚水を処理するものではなく、
沐浴などの儀式に使われた水だけを始末する施設ではないかと主張する学者もおり、本当のこと
はよくわかっていません。

ローマの下水道

クロアカ・マキシマ排水口
クロアカ・マキシマ排水口

最初の下水道は、紀元前6世紀頃に建設されたと言われていますが、紀元前3世紀から1世紀に
かけてアーチ型の天井を持つ暗渠に改良されました。この下水道はクロアカ・マキシマ(大下水道)
と呼ばれ、大きいもので高さ4.2m、内径3.3mのものもあり、市内全域に敷設されました。この下水
道は、規則正しい間隔で通気孔を備えていました。また、市内には144ヶ所の水洗式公衆トイレ
があったとされており、このトイレを使用する場合は課税されたことから、世界最初の有料トイレと
いえます。下水道の維持管理は行政が行い、清掃作業は罪人が担当していました。クロアカ・マ
キシマは、現在も738mにわたり雨水渠として利用されています。近代下水道は、ローマの下水道
が起源と言ってもよいと考えられます。


   出典−日本下水道協会「下水道の歴史」

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